冷凍庫

記憶に残った1日を記録に。新鮮保存、永遠に。

母の正しい愛し方

 

 

 

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 【 土下座 】 : 土の上に直に座り、平伏して礼を行う事

 

 

私の親は、子供の幸せを願っていると吐いた口で、私に一生解けない呪いをかける人達だった。

 

中学生の頃から私は自分を殺して生きてきた。誰の機嫌も損ねぬよう、誰の反感も買わぬよう、ただ透明で在り続けようと努力をしていた。目立たぬよう、消えぬよう、家族でありながらいつでも家族じゃなくなれるよう、私は私の存在理由を全て消した。誰かを理由にしないよう、誰かの理由にならないよう、自分の意見は抑え込んで他人の求める意見を常に表に出すようにしていた。私は、圧倒的他人主義になる事で、私の中にあった脆い世界を守ろうとしていた。それこそが私が私たる “ 意味 ” だったのだ。優しく、穏やかで、聞き分けが良い人。それが私だった。そういう自分を選んだ。その選択に今でも後悔はない。仕方がないなんて諦めぶるつもりもない。自ら選んで歩んだ道だと、他の誰でもない自分に胸を張って言える生き方をしてきた。私が、自分で、この道を歩む事を決めたのだ。

 

だけど、時々思ってしまう。いつの間にか消えた私の本音は、誰が埋葬するんだろう、と。

 

高校1年生、15歳。中学生の頃から続く家庭内別居に私は酷くイラついていた。問題の渦中にいながらまるで問題意識の無い父。 「 何でそんな4人に拘るの? 」 と離婚を止める私を凝視する母。問題のキッカケになったにも関わらずいつまでも甘ったれな態度の兄。いつの間にか家族と話す話は家族の悪口になっていたし、家族の誰かと仲良くすれば白い目で見られる日々。そんな環境にウンザリして、でも私は自分を殺す程家族が好きだったから諦められなくて、こんな時に好きだなんて苦しいなと思いながら手を取り合う術を探していた。今思えばそんなの何の意味も無かったけど、でもあの頃の私は自分が1番無力な事を認めたくなかったのだ。数年前まで毎年4人で行っていた家族旅行は?年賀状に写っていた4人の笑顔は?パソコンに残された幸せな記録は?それらが全部嘘になってしまう事が怖かった。嘘になんかしたくなかった。 「 あの時は愛していたけど今は違う 」 なんて残酷な未来を知りたくなかった。ここで家族をつなぎ止められるのは、娘である私だけだと思っていた。そんな傲りを、一体誰が許してくれようか。後に私はこの行動を大きく後悔する。

 

高校2年生、16歳。母親が、私の前で父親に土下座をした。 「 離婚して下さい 」 と、涙声で地面に頭を擦り付けていた。 “ 母 ” が “ 父 ” に向かって、平伏していた。子供の前で親が土下座をしているなんて、それこそ安いドラマでも見ないその光景に、私はどうしても嫌悪感が止まらなかった。キモチワルイ、キタナイ、ナニヲシテルンダ。何で土下座なんかしてる。何で土下座なんかさせた。何で誰も動けない。誰がさせた?誰が悪い?誰だ?お前か?私か?それとも別の誰かか?何も言えない苦しそうな父と、母を歪んだ顔で見下ろす兄と、ただ吐きそうになる私。終わっていたのは、家族の形だけなんかじゃなかった。そう思いたいだけの私の妄想に過ぎなかった。本当はもうずっと、ずっと、ずっとずっと前から、母は壊れていたのだ。

 

母を壊したのは、父でも兄でも第三者でもなく、誰よりも母を愛していた私だった。

 

私が母に大きな足枷をつけていた。 「 離婚しないで欲しい 」 と娘としての発言力を甘く見てずっと母を殺していたのだ。ごめん、ごめん、ごめん。貴女を殺していたのは貴女を愛していた私だったね。ごめんね、ごめんね、貴女の人生を縛り付けて貴女に土下座までさせたのは私の歪んだ愛だったね。ただ貴女とまだ一緒にいたかった。まだ貴女と親子で在りたかった。そんな私の我儘が貴女を壊してしまったんだね。

 

全てがどうでもよくなってしまって、全てがもう嘘みたいになってしまった私が 「 もう良いよ 」 と母に伝えた翌日、母は新居と引越しの手続きをして兄と一緒に家を出た。

 

父について行く事を決めた私に、母は 「 貴女も裏切るんだね 」 と言い残して去って行った。その1ヶ月後父に 「 お前もどうせ嘘を吐く 」 と言われ、自分の誕生月には母方の祖母に 「 お前は強いから1人でも大丈夫だね 」 と言われた。今でも色濃く残る記憶で、私の身内は皆私を冷たく嘲笑っている。誰も助けてなんてくれない。自分の力で生きてくしかない。恥もプライドも常識も全て捨ててでも私はこの人達にこんな思いをさせた責任を取らなければならない。そんな間違った覚悟1つで私は自分を武装して生きてく事を誓った。

 

何故母に付いて行かなかったのか。何故父と共に生活する事を選んだのか。何故母が出て行く事を父にも黙っていたのか。何故私は大丈夫だと思われたのか。その全ての理由の答えは複雑でいて単純だった。それを1番知らなければならない人達はもう、きっと、こんな会話覚えちゃいないのだろうけど。

 

そんな母に遂に再婚相手が出来た。度々話に出て来た事のある人で私自身は会った事はない。ただ、母が話すにはとても優しい人だと言っていた。特に何も思わなかった。新しい恋愛を前に進むと表現する人がいるけど私はこれは少し違うよなぁと思っている。過去に愛した人を想う気持ちは “ 未練 ” の2文字にしてしまえば酷く禍々しい物に思えるけど、実際は清く美しく最愛の人を想う人も多くいる。死別してしまった誰かを想う気持ちを抱いて進む事が前に進めてないと言うのなら、そんな風に当たり前を当たり前に生きてる人が決めた “ 前 ” になんて進まなくて良いんだよ、と抱き締めてあげたくなる。顔を上げて一歩先を見詰められたらそれだけでもう前を向いたと言って良いんじゃないか。進む必要はないんじゃないか。足を踏み出す勇気は、小学生の頃跳び箱を飛ぶのに使い果たしてしまった人も中にはいるんじゃないか。だから何も思わなかった。ただ、幸せでいて欲しいと強く願った。嘘みたいに笑って言い聞かせていた 「 幸せだよ 」 を本音にして欲しかった。

 

 「 貴方が思ってる程私は幸せじゃない 」

 

再婚相手の写真を送れとせがむ私に母が放った一言は私を酷く絶望に追いやる。何を、言っている?幸せじゃない?何で?離婚までしたくせに?苗字まで変えたくせに?引越しまでしたくせに?それでも貴女は、幸せじゃない?じゃあ、今までの決断は何だったの?何の為に私は涙を飲んで本音を殺して此処にいるの?

 

そこからはもう、本当に地獄みたいで堪らなかった。母の行き付けの居酒屋で起きたソレは、私が殺して来た本音をふつふつと生き返らせた。ああ、お店のご主人と奥さんだけで良かった。他に人がいなくて良かった。だってこんなにも溢れてしまう気持ちをどう抑えれば良いか分からないから。もう戻れない日々が突如私を襲う。迫られた決断が今になって刃を突き立てる。誓った覚悟が揺らめく。裏切られたと母に言われたあの日、泣く権利なんか私にはないんだと切った涙腺が壊れたまんま雨を降らす。

 

 

 

私は母を、許せなくなってしまった。

 

 

 

母も兄も父も祖父母も従姉妹も皆知らない私だけの忘れられない痛みがある。誰にも話さず、誰にも触れさせなかった柔らかい部分が私の体内には山程ある。でもそんなのきっと皆あるって思って耐えて来たのに、何で貴女が誰よりも辛いみたいな顔をするんだよ。そんなの、そんなのおかしいだろ。不幸面すんなよ。なあ、幸せでいてくれよ。頼むよ。頼むから、今日までの選択を間違いにしたくないんだよ。もう、貴女の事で間違えたくないんだよ。失敗は成功の母だなんて言えない。そんな母を私は知らない。ただ貴女を、抱きしめられる大人になりたかっただけなのに。

 

 「 ふざけるな!!!!!幸せでいてくれなきゃ困るんだよ!!!!! 」

 

日付けが変わる頃、そう吐き捨てた私と泣きじゃくる母が小さく影を作って離れる。愛していても届かない気持ちがある。愛しているから渡せない本音がある。愛が私を救うように、愛が私を殺してしまう。触れたいと思えば一歩引き、離れたいと思えば近付く距離感に私達はいつも戸惑い、苛立ち、間違える。それでも諦める方法より立ち向かう強さを手に入れられた事を誇りに思う。家族を諦めるのは、きっと死ぬより辛いから。

 

例え貴女が私を許さなくても、例え私が貴女を許せなくても、私は貴女を愛すよ。貴女が私を愛したみたいに、私も貴女を、心から愛そう。

 

愛してるよ、お母さん。今はまだ、言えないけどね。

 

 

 

2020.08.22

 

 

 

だから私は女を辞めた

 

 

 

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時々私のお店にはご飯が目的じゃないお客様がいらっしゃる。

 

私の性別は女だ。身長も低く、喉の骨が見えるぐらいは痩せている。マスクは普通サイズでは大きく感じるし、ダボっとした服を着るならMサイズで十分な本当に普通の女性。駅で5秒見渡すだけでも今の説明に当て嵌まる人は五万といるだろう。そんな私が他の女性と大きく違うのは、髪の毛がベリーショートで喋らなければ男の人に間違われる所だ。今はマスクもしている所為か、喋っても 「 お兄さん 」 なんて言われたりする。

 

私はこれを言われると、いつの間にか安心してしまうようになってしまった。特別男になりたいと思っているわけでもないのに。

 

私は都内の飲食店 ( 芸能人も良く来るような割と高いお値段の所 ) でアルバイトをしながら社会人の学校に通うフリーターで、週に4日程入っている。これは、このお店で働くようになってからそう強く思うようになった気持ちだ。それは何もお店の先輩や同期がそう思わせたのではなく、たった数時間しか顔を合わせないお客様がそう思わせてくれた。これは勿論、悪い意味で。

 

お客様は神様だ、と誰かが言っていた。誰が言い出したのかも知らない宗教の一文みたいなこの謳い文句が私は大っ嫌いだ。まるで神のように接しろと言う意味なのか何なのか、そもそも神様の正しい扱い方も知らない私にはそんな事到底無理な話だ。大体、 「 私は神だ! 」 なんて思いながら飲食店に来る人は公共交通機関に乗って此処に来ているわけだからもし本当にそうなら何ともお粗末な神様だなと思う。そんな威張れる神なんだったら筋斗雲にでも乗って飛んで来いよ。とは思いながらも勿論良いお客様もいる事は分かっているので、分母を同じにした場合どっちの方が多いかと聞かれれば圧倒的に多いのは良いお客様の方だとも思う。ただやはり、見過ごせない程には私の心を蝕むお客様もいるのだ。

 

 

そしてそれは、高確率で女性の場合が多かった。

 

 

年齢層はバラバラで仕事も連れてくる人も決まったパターンはなく、ただ共通しているのは “ 女性 ” と言う事と、 “ 必ず私が1人の時 ” にクレームを言ってくると言う事だった。

 

レジでお会計をしている時。パントリーでお通しを作っている時。オーダーを取っている時。料理を運んでいる時。バッシングをする時。ウェイティングを案内する時。飲食店は従業員が多くいるように見えて、実は1人で何かをする事の時間の方が圧倒的に多い。混雑した店内での連携は取る物の、 “ 一緒に熟す ” と言うよりは “ 一緒に動く ” と言う表現がピッタリな現場だ。1人1人は歯車であり、錆び付かぬよう止まらぬよう足を動かし脳を働かせ笑みを浮かべる。その度に何度も訪れる1人の時間が、私はいつの間にか冷や汗を掻く程に怖くなっていた。また、何か言われるんじゃないか、と。

 

コロナ不況で誰もが漠然と抱えるこの不安は、きっとコロナが収まり元の生活に戻らない限り消える事はない。そして、この生活が元に戻る事はない。新しく変わっていくしかない。今まで通り当たり前を特別に変えて、また当たり前にするしかない。私にもあるこの先どうなるんだろうと言う不安は恐らく全世界の人間にあるのだろう。そして特に都民は感染者数の増加や時間短縮営業、第二波だと騒ぎ立てるニュースや目紛しく要求されるお金により一層圧迫されているような気がする。 「 10万円 」 では満たされない程この国の人間は飢えているのだ。

 

その餌食になっているのが話題になったドラッグストアの店員や医療従事者の方達なのだろう。その一方で、歯医者や飲食業界は触れられる事がない。皆そこに危険性を見出していないから、コロナに直接関わる職業じゃないから、誰も此方側が危ないと思わない。そうやって判断された接客業の人間はどんな扱いをされるのか。

 

 

 

人間扱いなんて、されなくなった。

 

 

 

日頃の鬱憤を晴らすみたいに些細な事で文句を言われ、誰かより立場が上だと思う為だけに嫌味を言われる日々。本当に辛い。チクチクと毎日刺さる刺はランチに2000円以上使える大人に埋め込まれ、また私か…ともう慣れた諦めを手にするまでに沢山の女性に虐められて来た。

 

私を虐めても貴方の現実は変わらないのに。誰かを蔑んだって貴方は蔑まれたままなのに。誰よりも弱い立場の私を虐めてそれで何が埋まるんですか?飲食店は無料の相談所じゃありません。接客業は貴方のご機嫌取りじゃありません。自分の悩みもご機嫌もご自分で解決出来ないくせに、人に文句を言うスキルばかり上がってく日々は嫌にならないんですか?恥ずかしくないんですか?私よりも長く人生を歩んでいて、これが初めての絶望じゃないでしょう?それなのに、弱い立場を作らなければ強くなれませんか。理不尽を強いなければ理不尽に打ち勝てませんか。そんな事をしても貴方は何も変わらないのに、それで満足ですか。

 

私が、高身長で筋肉質でもっと歳が増した男性だったらどうでしたか。同じような態度を取って私の事をご自身の不満の捌け口にしていましたか。

 

だから私は、女性を辞めた。自分の性別の拘りを捨てた。私が女性だからこうなのではなく、私が弱く見えるからなのだと思う事にした。どれだけジェンダーが理解されようが、どれだけ差別を無くそうと高らかに叫ぼうが、結局私を殺したのは性別だったのだ。

 

食べ残しはするし、机は汚すし、まだテーブルについてないのに注文するけど、お客様だから、神様。神様の為の、生贄。ああ、何て素敵な神様でしょうか。

 

クソ食らえ。

 

 

 

2020.07.31-08.01

 

 

 

眠れない私

 

 

 

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東野圭吾の 『 人魚の眠る家 』 を観た。

 

原作を既に読んでいたからそことの擦り合わせで終わるだろうと思っていたがそれは大いに外れた。数分前の自分に言ってやりたい。久々にお前は映画で涙を流すぞ、と。

 

 

 

もし私が脳死になったら?

 

 

 

この質問は特別不思議な質問ではなかった。別に私の周りに脳死判定された知人がいるわけでも臓器移植を待ってる友人がいるわけでもない。だけど、不思議ではなかった。私はそういう質問を自分によくする人だった。生きてる間役に立たないなら死んで役に立ちたい。死ぬ事に意味があるなら生きてる事も怖くない。そうやってでしか自分を律せない人間なのだ、私は。 「 生きてるだけで偉いよ 」 なんてのは 「 死んだから無価値 」 ってのと同義だし、 「 生きてるだけで奇跡 」 なんて言われようもんならその場で失禁してしまうだろう。我ながら情けないとは思うが、失いたくないと思える理由や、失う事で得られる物があると思える確信がないと生きていけないのだ。そういう未成年時代を送っていた。今は少し変わったけれど。

 

篠原涼子さん演じる播磨薫子。瑞穂 ( 多分この漢字だった気がする。原作読んでから別の作品を既に読んでいるからうろ覚え ) の母親。原作で薫子は 「 母親は子供の為なら狂える 」 と言っていた。その発言自体が狂っていると思ったのを思い出した。誰かの為なら狂える?そんな物を愛と呼んで良いのか。でもじゃあどんな物を愛と呼ぶのかと聞かれたら人間様初心者の私には答えが見出せなかった。播磨薫子にとってはそれが愛だったのだ。紛れもない愛。私にはない愛。

 

とまで書いて疲れ果てて眠ったのが昨日の事。映画を観ると心の消耗が激しくなる。普段使わないように心掛けているあらゆる防衛反応をフル回転させ、それでも尚届いてしまう言葉や表情に私の柔らかい魂は最も容易く変形してしまう。ぐにゃり、どろり。それは時に小説だったり、絵本だったり、昔のアニメだったりするわけだけど。

 

若葉がごめんなさいと嗚咽しながら告白をするシーン。生人が 「 お姉ちゃんは死んだって言ったから 」 と歯を食いしばって叫ぶシーン。子供の頃、自分だけが我慢していれば物事が上手く行くと分かっていて黙っていた事を思い出した。ああ、私も黙る事で大事な世界を守ろうとしていたな、と。そんな事で守った気になったっていつかは崩壊してしまうけど、それでも無力な子供はその術しか知らないから。何も喋らなければ誰かの味方になる事もないし、何も動かなければ誰かを犠牲にする事もない。耐えて耐えて耐えて、それで漸く丸く収まった時に自分の膝から血が出てる事に気付く。誰が悪いんじゃないけど、誰も悪くないからこそ苦しい。生人にとって、若葉にとって、自分だけが罪を被る事はどれだけ辛い決断だったんだろう。眠る姉を、従姉妹を、どんな想いで見詰めて触れていた?起きる事のないお姫様を前にして2人はどんな地獄を選ぼうとしていた?2人が薫子に向けて自分の胸の内を曝け出すシーンは、まるであの頃の自分が何も言えずに蹲っていた事を許されたような気がした。

 

 

言っても言わなくても地獄だから大丈夫だよ

 

 

って。圧倒的弱者の前じゃ普通でいる事すら困難だ。そんな当たり前な事を忘れてしまう。誰かを弱者にするのは酷く抵抗があるし、実際その弱者を目の前にしたってやはりそれを弱者と決め付けていいのか良心が揺らぐから。誰かを弱者にして安心したいだけの人間もいる。自分がそんな醜い人だと思いたくない。そんな反骨心もきっと芽生えてしまったりするのだろう。でも瑞穂は弱者だった。生人にも若葉にもそれはわかっていた。同じように走らない女の子。眠ったままの姉。自分の身代わりになった人。聞き飽きたごめんねと、見せ物になる母親の愛。普通になりたいと、きっと誰もが願ってる。普通に起きて、普通に話をして、普通に眠る。そんな事起こりはしないのに。

 

死ぬ事が生きていた事の証明になるなんて、世界はなんて残酷で甘ったるいんだろう。でもそれは、眩しいぐらいの救いでもあるんだね。

 

 

 

2020.07.12-13

 

 

 

「 俺ってそんなに鈍感に見えるんだ 」

 

 

 

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2020年の七夕。天の川は今年も誰かの願いで汚れていないかと心配していた夕食時、私は父から思いもよらない話を聞かされる。


私は恐らく、この奇妙な七夕を忘れる事はないだろう。だが、人は忘れる生き物だ。忘れないと心に固く誓った約束は3年後には忘れていたりする。現に私は、元カノの誕生日を覚えていない。


だから、ここに記そうと思う。誰かの為ではなく私の為に。そしてこの奇妙な七夕を来年もまた、奇妙だと思えるように。

 

 


それは、私が夕飯の魚を皮ごとペロリと食べている時だった。父がこう言ったのだ。


「 先週ちょっとした行事があってさ 」


父にとっての行事とは短冊に願い事を書く事や、上司の前でプレゼンをする事だけではない。と言うか、そう言った意味で使われる事は殆どない。私達は “ 単語の意味 ” ではなく “ そう言い換えられる単語 ” を使って会話をする事が多い親子だった。故にこれは言葉通りの “ 行事 ” ではなく “ そう言える日常とは違った何か ” だと捉えられた。勿論それは、部下から辞めたいと言われた話かもしれないし、再婚相手が出来たと言う話かもしれない。とにかく、何が話されてもおかしくない言い方なのは間違い無く、そしてその様子を見るにそれは余り悪い話ではないように感じた。娘の勘と言えば聞こえは良いが、単純に父は顔に出やすい人間なのだ。それはそれは、分かりやすいほどに。


「 何? 」


私は一言、夕食に出た魚を食べながら聞いた。口の中で大根おろしが魚の油を上手い具合に緩和してくれていて美味しいな、と思いながら聞いた。


「 俺の事を嫌いな人がいるんだけど、その人と会議をしたんだよ。俺の事いじめる人がいて、俺は気にしてないけどその人は役職が上だからある書類に判を押して貰わないと通せない問題があったんだよね。まぁ結局ダメになったんだけど 」


父は管理職に就いていながらそう言った。つまりこれは管理職が管理職をいじめていると言う話で、大人の世界でもいじめがあるんだなぁとか、管理職になっても変わらないんだなぁ、なんて軽率な問題ではなく、そう理解してしまえる事が問題なのだと思った。そして私は娘ながらにして思った。父はやはり、不器用な人だと。


「 それでね、今週その話を別の人にされて、その時その人に 「 打たれ強いですね 」 って言われたんだよね。それがショックでさ 」


その時飲み込んだ味噌汁とガリッと噛み砕いた胡瓜の浅漬けは、何とも言えない味に変化していた。父は、こんなに大切な話を、娘の私にしたのだ。


「 俺ってそんなに鈍感に見えるんだ 」


これがただの親子の会話に見えるならそれはそれで幸せだろうと思う。何がショックなんだろうと思えるのならそれはそれで強かだろうと思う。だが私は、いや、私達は、これが “ 癪に触る ” 人間なのだ。

 

 

 

貴方は強いね

 

 

 

この一言は、呪いだ。
この一言で、死んでしまえるのだ。


そうなるしか、なかった。強くなる事でしか何も守れなかった。分からない人もいるだろう。だが、いるのだ、そういう人間が。己を鼓舞し、ついた膝を、折れた足を無理にでも動かして立ち上がる人間がいるのだ。そしてそれは、何も美談などではない。本当に辛い時の甘え方など知らないのだ。他人を頼る術など何処の誰も教えてなどくれなかった。だから傷付いた体で前を向くしかなかったのだ。俯いていたって朝日は上るし、上を見上げたって夜は来るのだ。痛いなどと言ってる間に何かを失う。そういう諦めを土台にしてでしか守れない弱い人間もいるのだ。盾を見に纏うより先に、刃の鋭さを知ってしまう人間がいるのだ。分からないか?分からないよな、分からないってのは楽で良いな。でも、誰かを楽にしたくて強くなったわけじゃないんだよ。どんな盾もいつか壊れると最初の一太刀で理解出来てしまう事が、どれほど恐ろしいか、それを知らないなんて、それこそ幸せじゃないか。


言っておくが、生まれ持って強いんじゃない。そんな甘い世界じゃない。強さとは、足の速さじゃない。性別でも、体格でも、頭の良さでもない。あらゆる手段を試し、あらゆる痛みを受け、自分の中でどれが1番治しやすい傷になるのかを経験した上で、そうしてるのだ。傷付いていないわけじゃない。ただ、治癒の仕方と効く薬を知っているだけだ。

 


だから呪いだと、私は思う。これは一種の呪いだ。

 


強いねと言われたその日に、私は強くさせられた。そして今、目の前で苦しそうにする父もまた、深く濃い呪いを掛けられてしまったのだ。掛けた本人は解毒の方法すら知らない。


強い人間は、弱さを隠す為に強くなっているのだと私は思う。私の父や私みたいに、一見して強い部分が実はとても脆い箇所だったりする。突けばすぐに血が溢れ、捻ればすぐに萎れてしまう。そういう人間もいるのだ。貴方は知らないかもしれないが。


だがこれは想像力の問題であって、勉学の問題ではない。つまり、例えどれだけ英単語が喋れても、目の前の子供を見てどんな1日を過ごしたかを想像出来るかは別だと言う事。林檎は赤いと信じてる人に、苺も同じ赤だから似た物同士だよね、と言っても通じはしない。そうだね、苺も赤だね。パプリカも赤があるからもしかしたら従姉妹かもね。なんて会話が出来て初めてこの私の記録は意味を成すのだ。残念な事に、パプリカの従兄弟はピーマンでしょ?なんて言う人には私の伝えたい事は0.5mも伝わらないだろう。そういう人はキャベツとレタスで一生悩んでいたら良いさ。それも決して悪くないだろうと思う。


ただ、願う。想像出来ない人間の善意など、無自覚の悪意と何ら変わりないという事を、どうか想像出来る人であってほしい。七夕ではなく、貴方に願う。想像をやめないで欲しい。


かくいう私も、いつかは想像出来なくなってしまうのだろうか。老いには逆らえない。いつか私は、無邪気な笑顔の裏を見れなくなってしまう。そしたら私は、もう 「 強いね 」 と言われない弱い人になれるのだろうか。

 

 

 

2020.07.07