冷凍庫

記憶に残った1日を記録に。新鮮保存、永遠に。

「 俺ってそんなに鈍感に見えるんだ 」

 

 

 

f:id:o3_-_3o:20200713012457j:image

 

 

 

2020年の七夕。天の川は今年も誰かの願いで汚れていないかと心配していた夕食時、私は父から思いもよらない話を聞かされる。


私は恐らく、この奇妙な七夕を忘れる事はないだろう。だが、人は忘れる生き物だ。忘れないと心に固く誓った約束は3年後には忘れていたりする。現に私は、元カノの誕生日を覚えていない。


だから、ここに記そうと思う。誰かの為ではなく私の為に。そしてこの奇妙な七夕を来年もまた、奇妙だと思えるように。

 

 


それは、私が夕飯の魚を皮ごとペロリと食べている時だった。父がこう言ったのだ。


「 先週ちょっとした行事があってさ 」


父にとっての行事とは短冊に願い事を書く事や、上司の前でプレゼンをする事だけではない。と言うか、そう言った意味で使われる事は殆どない。私達は “ 単語の意味 ” ではなく “ そう言い換えられる単語 ” を使って会話をする事が多い親子だった。故にこれは言葉通りの “ 行事 ” ではなく “ そう言える日常とは違った何か ” だと捉えられた。勿論それは、部下から辞めたいと言われた話かもしれないし、再婚相手が出来たと言う話かもしれない。とにかく、何が話されてもおかしくない言い方なのは間違い無く、そしてその様子を見るにそれは余り悪い話ではないように感じた。娘の勘と言えば聞こえは良いが、単純に父は顔に出やすい人間なのだ。それはそれは、分かりやすいほどに。


「 何? 」


私は一言、夕食に出た魚を食べながら聞いた。口の中で大根おろしが魚の油を上手い具合に緩和してくれていて美味しいな、と思いながら聞いた。


「 俺の事を嫌いな人がいるんだけど、その人と会議をしたんだよ。俺の事いじめる人がいて、俺は気にしてないけどその人は役職が上だからある書類に判を押して貰わないと通せない問題があったんだよね。まぁ結局ダメになったんだけど 」


父は管理職に就いていながらそう言った。つまりこれは管理職が管理職をいじめていると言う話で、大人の世界でもいじめがあるんだなぁとか、管理職になっても変わらないんだなぁ、なんて軽率な問題ではなく、そう理解してしまえる事が問題なのだと思った。そして私は娘ながらにして思った。父はやはり、不器用な人だと。


「 それでね、今週その話を別の人にされて、その時その人に 「 打たれ強いですね 」 って言われたんだよね。それがショックでさ 」


その時飲み込んだ味噌汁とガリッと噛み砕いた胡瓜の浅漬けは、何とも言えない味に変化していた。父は、こんなに大切な話を、娘の私にしたのだ。


「 俺ってそんなに鈍感に見えるんだ 」


これがただの親子の会話に見えるならそれはそれで幸せだろうと思う。何がショックなんだろうと思えるのならそれはそれで強かだろうと思う。だが私は、いや、私達は、これが “ 癪に触る ” 人間なのだ。

 

 

 

貴方は強いね

 

 

 

この一言は、呪いだ。
この一言で、死んでしまえるのだ。


そうなるしか、なかった。強くなる事でしか何も守れなかった。分からない人もいるだろう。だが、いるのだ、そういう人間が。己を鼓舞し、ついた膝を、折れた足を無理にでも動かして立ち上がる人間がいるのだ。そしてそれは、何も美談などではない。本当に辛い時の甘え方など知らないのだ。他人を頼る術など何処の誰も教えてなどくれなかった。だから傷付いた体で前を向くしかなかったのだ。俯いていたって朝日は上るし、上を見上げたって夜は来るのだ。痛いなどと言ってる間に何かを失う。そういう諦めを土台にしてでしか守れない弱い人間もいるのだ。盾を見に纏うより先に、刃の鋭さを知ってしまう人間がいるのだ。分からないか?分からないよな、分からないってのは楽で良いな。でも、誰かを楽にしたくて強くなったわけじゃないんだよ。どんな盾もいつか壊れると最初の一太刀で理解出来てしまう事が、どれほど恐ろしいか、それを知らないなんて、それこそ幸せじゃないか。


言っておくが、生まれ持って強いんじゃない。そんな甘い世界じゃない。強さとは、足の速さじゃない。性別でも、体格でも、頭の良さでもない。あらゆる手段を試し、あらゆる痛みを受け、自分の中でどれが1番治しやすい傷になるのかを経験した上で、そうしてるのだ。傷付いていないわけじゃない。ただ、治癒の仕方と効く薬を知っているだけだ。

 


だから呪いだと、私は思う。これは一種の呪いだ。

 


強いねと言われたその日に、私は強くさせられた。そして今、目の前で苦しそうにする父もまた、深く濃い呪いを掛けられてしまったのだ。掛けた本人は解毒の方法すら知らない。


強い人間は、弱さを隠す為に強くなっているのだと私は思う。私の父や私みたいに、一見して強い部分が実はとても脆い箇所だったりする。突けばすぐに血が溢れ、捻ればすぐに萎れてしまう。そういう人間もいるのだ。貴方は知らないかもしれないが。


だがこれは想像力の問題であって、勉学の問題ではない。つまり、例えどれだけ英単語が喋れても、目の前の子供を見てどんな1日を過ごしたかを想像出来るかは別だと言う事。林檎は赤いと信じてる人に、苺も同じ赤だから似た物同士だよね、と言っても通じはしない。そうだね、苺も赤だね。パプリカも赤があるからもしかしたら従姉妹かもね。なんて会話が出来て初めてこの私の記録は意味を成すのだ。残念な事に、パプリカの従兄弟はピーマンでしょ?なんて言う人には私の伝えたい事は0.5mも伝わらないだろう。そういう人はキャベツとレタスで一生悩んでいたら良いさ。それも決して悪くないだろうと思う。


ただ、願う。想像出来ない人間の善意など、無自覚の悪意と何ら変わりないという事を、どうか想像出来る人であってほしい。七夕ではなく、貴方に願う。想像をやめないで欲しい。


かくいう私も、いつかは想像出来なくなってしまうのだろうか。老いには逆らえない。いつか私は、無邪気な笑顔の裏を見れなくなってしまう。そしたら私は、もう 「 強いね 」 と言われない弱い人になれるのだろうか。

 

 

 

2020.07.07