冷凍庫

記憶に残った1日を記録に。新鮮保存、永遠に。

母の正しい愛し方

 

 

 

f:id:o3_-_3o:20200813225802j:image

 

 

 

 【 土下座 】 : 土の上に直に座り、平伏して礼を行う事

 

 

私の親は、子供の幸せを願っていると吐いた口で、私に一生解けない呪いをかける人達だった。

 

中学生の頃から私は自分を殺して生きてきた。誰の機嫌も損ねぬよう、誰の反感も買わぬよう、ただ透明で在り続けようと努力をしていた。目立たぬよう、消えぬよう、家族でありながらいつでも家族じゃなくなれるよう、私は私の存在理由を全て消した。誰かを理由にしないよう、誰かの理由にならないよう、自分の意見は抑え込んで他人の求める意見を常に表に出すようにしていた。私は、圧倒的他人主義になる事で、私の中にあった脆い世界を守ろうとしていた。それこそが私が私たる “ 意味 ” だったのだ。優しく、穏やかで、聞き分けが良い人。それが私だった。そういう自分を選んだ。その選択に今でも後悔はない。仕方がないなんて諦めぶるつもりもない。自ら選んで歩んだ道だと、他の誰でもない自分に胸を張って言える生き方をしてきた。私が、自分で、この道を歩む事を決めたのだ。

 

だけど、時々思ってしまう。いつの間にか消えた私の本音は、誰が埋葬するんだろう、と。

 

高校1年生、15歳。中学生の頃から続く家庭内別居に私は酷くイラついていた。問題の渦中にいながらまるで問題意識の無い父。 「 何でそんな4人に拘るの? 」 と離婚を止める私を凝視する母。問題のキッカケになったにも関わらずいつまでも甘ったれな態度の兄。いつの間にか家族と話す話は家族の悪口になっていたし、家族の誰かと仲良くすれば白い目で見られる日々。そんな環境にウンザリして、でも私は自分を殺す程家族が好きだったから諦められなくて、こんな時に好きだなんて苦しいなと思いながら手を取り合う術を探していた。今思えばそんなの何の意味も無かったけど、でもあの頃の私は自分が1番無力な事を認めたくなかったのだ。数年前まで毎年4人で行っていた家族旅行は?年賀状に写っていた4人の笑顔は?パソコンに残された幸せな記録は?それらが全部嘘になってしまう事が怖かった。嘘になんかしたくなかった。 「 あの時は愛していたけど今は違う 」 なんて残酷な未来を知りたくなかった。ここで家族をつなぎ止められるのは、娘である私だけだと思っていた。そんな傲りを、一体誰が許してくれようか。後に私はこの行動を大きく後悔する。

 

高校2年生、16歳。母親が、私の前で父親に土下座をした。 「 離婚して下さい 」 と、涙声で地面に頭を擦り付けていた。 “ 母 ” が “ 父 ” に向かって、平伏していた。子供の前で親が土下座をしているなんて、それこそ安いドラマでも見ないその光景に、私はどうしても嫌悪感が止まらなかった。キモチワルイ、キタナイ、ナニヲシテルンダ。何で土下座なんかしてる。何で土下座なんかさせた。何で誰も動けない。誰がさせた?誰が悪い?誰だ?お前か?私か?それとも別の誰かか?何も言えない苦しそうな父と、母を歪んだ顔で見下ろす兄と、ただ吐きそうになる私。終わっていたのは、家族の形だけなんかじゃなかった。そう思いたいだけの私の妄想に過ぎなかった。本当はもうずっと、ずっと、ずっとずっと前から、母は壊れていたのだ。

 

母を壊したのは、父でも兄でも第三者でもなく、誰よりも母を愛していた私だった。

 

私が母に大きな足枷をつけていた。 「 離婚しないで欲しい 」 と娘としての発言力を甘く見てずっと母を殺していたのだ。ごめん、ごめん、ごめん。貴女を殺していたのは貴女を愛していた私だったね。ごめんね、ごめんね、貴女の人生を縛り付けて貴女に土下座までさせたのは私の歪んだ愛だったね。ただ貴女とまだ一緒にいたかった。まだ貴女と親子で在りたかった。そんな私の我儘が貴女を壊してしまったんだね。

 

全てがどうでもよくなってしまって、全てがもう嘘みたいになってしまった私が 「 もう良いよ 」 と母に伝えた翌日、母は新居と引越しの手続きをして兄と一緒に家を出た。

 

父について行く事を決めた私に、母は 「 貴女も裏切るんだね 」 と言い残して去って行った。その1ヶ月後父に 「 お前もどうせ嘘を吐く 」 と言われ、自分の誕生月には母方の祖母に 「 お前は強いから1人でも大丈夫だね 」 と言われた。今でも色濃く残る記憶で、私の身内は皆私を冷たく嘲笑っている。誰も助けてなんてくれない。自分の力で生きてくしかない。恥もプライドも常識も全て捨ててでも私はこの人達にこんな思いをさせた責任を取らなければならない。そんな間違った覚悟1つで私は自分を武装して生きてく事を誓った。

 

何故母に付いて行かなかったのか。何故父と共に生活する事を選んだのか。何故母が出て行く事を父にも黙っていたのか。何故私は大丈夫だと思われたのか。その全ての理由の答えは複雑でいて単純だった。それを1番知らなければならない人達はもう、きっと、こんな会話覚えちゃいないのだろうけど。

 

そんな母に遂に再婚相手が出来た。度々話に出て来た事のある人で私自身は会った事はない。ただ、母が話すにはとても優しい人だと言っていた。特に何も思わなかった。新しい恋愛を前に進むと表現する人がいるけど私はこれは少し違うよなぁと思っている。過去に愛した人を想う気持ちは “ 未練 ” の2文字にしてしまえば酷く禍々しい物に思えるけど、実際は清く美しく最愛の人を想う人も多くいる。死別してしまった誰かを想う気持ちを抱いて進む事が前に進めてないと言うのなら、そんな風に当たり前を当たり前に生きてる人が決めた “ 前 ” になんて進まなくて良いんだよ、と抱き締めてあげたくなる。顔を上げて一歩先を見詰められたらそれだけでもう前を向いたと言って良いんじゃないか。進む必要はないんじゃないか。足を踏み出す勇気は、小学生の頃跳び箱を飛ぶのに使い果たしてしまった人も中にはいるんじゃないか。だから何も思わなかった。ただ、幸せでいて欲しいと強く願った。嘘みたいに笑って言い聞かせていた 「 幸せだよ 」 を本音にして欲しかった。

 

 「 貴方が思ってる程私は幸せじゃない 」

 

再婚相手の写真を送れとせがむ私に母が放った一言は私を酷く絶望に追いやる。何を、言っている?幸せじゃない?何で?離婚までしたくせに?苗字まで変えたくせに?引越しまでしたくせに?それでも貴女は、幸せじゃない?じゃあ、今までの決断は何だったの?何の為に私は涙を飲んで本音を殺して此処にいるの?

 

そこからはもう、本当に地獄みたいで堪らなかった。母の行き付けの居酒屋で起きたソレは、私が殺して来た本音をふつふつと生き返らせた。ああ、お店のご主人と奥さんだけで良かった。他に人がいなくて良かった。だってこんなにも溢れてしまう気持ちをどう抑えれば良いか分からないから。もう戻れない日々が突如私を襲う。迫られた決断が今になって刃を突き立てる。誓った覚悟が揺らめく。裏切られたと母に言われたあの日、泣く権利なんか私にはないんだと切った涙腺が壊れたまんま雨を降らす。

 

 

 

私は母を、許せなくなってしまった。

 

 

 

母も兄も父も祖父母も従姉妹も皆知らない私だけの忘れられない痛みがある。誰にも話さず、誰にも触れさせなかった柔らかい部分が私の体内には山程ある。でもそんなのきっと皆あるって思って耐えて来たのに、何で貴女が誰よりも辛いみたいな顔をするんだよ。そんなの、そんなのおかしいだろ。不幸面すんなよ。なあ、幸せでいてくれよ。頼むよ。頼むから、今日までの選択を間違いにしたくないんだよ。もう、貴女の事で間違えたくないんだよ。失敗は成功の母だなんて言えない。そんな母を私は知らない。ただ貴女を、抱きしめられる大人になりたかっただけなのに。

 

 「 ふざけるな!!!!!幸せでいてくれなきゃ困るんだよ!!!!! 」

 

日付けが変わる頃、そう吐き捨てた私と泣きじゃくる母が小さく影を作って離れる。愛していても届かない気持ちがある。愛しているから渡せない本音がある。愛が私を救うように、愛が私を殺してしまう。触れたいと思えば一歩引き、離れたいと思えば近付く距離感に私達はいつも戸惑い、苛立ち、間違える。それでも諦める方法より立ち向かう強さを手に入れられた事を誇りに思う。家族を諦めるのは、きっと死ぬより辛いから。

 

例え貴女が私を許さなくても、例え私が貴女を許せなくても、私は貴女を愛すよ。貴女が私を愛したみたいに、私も貴女を、心から愛そう。

 

愛してるよ、お母さん。今はまだ、言えないけどね。

 

 

 

2020.08.22